2010年04月28日

楽譜はどうやって「読む」の?

Category : 音楽的資料 

最近つらつらと考えていたのは、楽譜を読むということについて。テクニックに関してはツェルニーで底上げを狙ってるんですが(だんだん自分の得意・不得意が見えてきたような気がします)、それ以外の部分に関しては何をどうすればいいんでしょうね?

ピアノを弾く時には楽譜が全て。楽譜に書かれているのは、調号、拍子、テンポ、音符、休符、アーティキュレーション。音の高低や長短、強弱。ペダリング。楽譜に書かれていることが全てで、読み方さえ知っていれば、必要な技術さえあれば、誰にでもその曲は弾けるはずなのだけど… でも同じ楽譜を使っていても、そこに生まれてくるのは人それぞれに違う演奏。もちろん演奏者それぞれの音楽性や技術力の違いもあるんですけど、そもそも楽譜に作曲家の意図が全て盛り込まれている以上、その楽譜に対する読み込みの深さが大きく関係してくるんだろうと思うんです。小説を読みながら、その行間からくみ取れるものがあるように、楽譜の余白には、今の私には読みとりきれてないものが沢山潜んでるのでは? 同じようにフォルテやピアノの表示があっても、そこに要求されているものはそれぞれに違うはずだし、読み方さえ知っていれば、必然的に見えてくるものがあるのでは? でもそういうのって楽典の本や辞書で調べられるようなことばかりではないですよね。
例えば、自分でそれなりに弾いているつもりでも、レッスンの時に先生に一言二言もらうだけで曲が急に歌い出すというのはよくあること。それはとても好きな瞬間だし、レッスンを受ける醍醐味の1つだとも思うんだけど… でも先生のその一言って、楽譜に直接書いてあるようなことではないんですよね。先生がその楽譜から読みとったりイメージしたことだったりするわけです。自分でそれを探しだすのはどうやったらいいの? 同じ想像をふくらませるにしても、私のイメージは先生のイメージみたいに地に足がついてないよ!

なんて思っていたところに手にしたのが、室井摩耶子さんの「ピアニストへの道」。この本に書かれているのは、東京芸大を卒業してピアニストとしてデビュー、芸大でも教鞭を取ってらしたという室井さんがベルリン音楽大学に留学していた頃の話。この方、ヴィルヘルム・ケンプにも師事されていて、その時のエピソードも沢山登場するんですよー。演奏を聴いて漠然と思っていたケンプ像がそのままこの本にあってなんだか嬉しい!…というのもあるんだけど(笑)、今回の本題は楽譜を読むことについて。ベルリンで勉強するうちに室井さんが「音楽語」の読み方を徐々に会得していく場面が、読んでいてものすごく響いてきました。

やがて楽譜というものが、私にとって段段と幅広く、奥深く複雑になっていった。そして、音にきびしい耳を向ける習慣とともに、譜面を見る目も段段きびしくなっていく。

楽譜の中に入ってみればみるほど、作曲家がなんと音楽をよく知り、部分部分に細かい宝石をちりばめながら大きい流れをがいていくものかと、何度でも改めて感心させられるものだった。

こういう風に思えるようになりたいんですが…。
この本でも、ショパンのプレリュード「雨だれ」やベートーヴェンのソナタ「悲愴」、モーツァルトのピアノ協奏曲などの楽譜を例に色々説明されていました。

同じ音が変わらぬリズムで並んでいるのは、エネルギーの積み重ね、言いかえれば積み重なっていくしつっこさを要求する。そのように弾くことによって、右手のメロディと違った性格を帯びてくる。(雨だれ)

第一小節目の第四拍後半は、両手とも休止符になっている。最初のfpのつけられたアッコードは人の心におもしをつけて、深みに心を引きずりこむ。そして奥底で呟くような符点の動きの後、それは四分音符と八分音符ですっと吸いこまれるように消える。(悲愴)

空間。その空間はある緊張感をはらみ、そしてそれが溢れて、左の鋭い三十二分音符を伴った次のfpのアッコードになって飛び出してくる。同じ三十二分音符でも、前の暗い符点のときの三十二分音符と、この緊張からなだれこんだような三十二分音符とはまったく別の意味合いをもつのである。(悲愴)

でも、こういうのを読むとなるほどなあと思うんですけど、私の方にまだ全然応用力がないから、そこで止まっちゃう。こういうのを数読めば、そのうちパターンが掴めてくるような気もするんだけど、あんまりそういう本って見かけないですしね。(知らないだけかな) で、やっぱりまずは楽典かなあ、と初心者向けの本を1冊読んだところなんですが… こういうのって知識として知っているだけでは全然ダメなんですよね、きっと。十分知った上で本当に理解して「体得」しなくちゃ。細々とでも勉強してたら、いつか私にも目が開かれるような瞬間が訪れるのかしらー。

この本が面白かったので他にも著作がないかと調べてみたら、先日読んだ「チェルニーってつまらないの?」(記事)と同じ方の本だったということに気付いてびっくり。大正10年生まれの88歳、生涯現役ピアニストだという室井摩耶子さん。あの本を書いたのは、そんな年配の方だったのか! もっと若い方なのかと思ってました。そう言われてみれば、と納得もするんだけど。公式サイトもあります。→コチラ
そういえば、以前テレビに出演されてるのを見た覚えがあります。弾いてらしたのはベートーヴェンの「月光」。

で、続けて、同じく室井摩耶子さんの「ひびきを求めて―ピアニストからのメッセージ」も読んでみたんですけど、こちらはもっと普通のエッセイ集でした。「ピアニストへの道」の方が良かったです。でも、私もCDを持っているアマデウス・ウェーバージンケについても触れられていて、その辺りは収穫でした。丁度インヴェンションとシンフォニアの演奏についても触れられていたし。「バッハが自分の子供の音楽の勉強のためにかいたこの各二ページ程の曲集は全部で三十曲であるが、教授の手にかかると各曲がそれぞれ違ったキャラクターをもっていて、或いは堂々と、或いは優雅に、或いは躍動的にと音やリズムの間からその性格の魅力が溢れ出してくるのである」「教授は非常に力強い演奏はされるが、決してオーバーな表現をされたりしない。実に素晴らしい場面転換で音色が変わるが、決してそのためのテクニックを弄んだりなさらない。バッハの音楽が語り度いまま…。全く自然なのである」…ヴィトルオーゾ的ではなく、あまり派手に脚光を浴びることのないウェーバージンケ。日本ではそれほど名前を知られていないと思うのだけど、ヨーロッパではよく知られている存在。でもヨーロッパではシューマンの演奏に定評がある方なのだそうです。どんなシューマンを弾くんだろう!

そして先日、書店でふと目についたのは、雑誌の「CHOPIN」。今月の特集は、「楽譜を読む」ですって! 思わず買ってしまいましたよ。今はまだざっと読んだ程度なので、詳しいことはこれからなんですが、どうやら譜面への書き込みというのも重要な部分のようですね。「書く」という行為は、ただ「見る」という以上に能動的なので、記憶にはっきり刻み込まれるものなんだそうです。考えてみれば、楽譜に書き込みってほとんどしたことがない私。バッハに関しては、子供の時に習っていた先生にテーマが出てくるところに印をつけなさいと言われていたんですが、それ以外は全然。だからどの楽譜も先生の書き込みばっかり。私の場合は、もうちょっと能動的に勉強する姿勢になるというのが先決かもしれないな。

Comments (4)

  1. アリアさん、こんばんは
    楽譜を読み解けるようになりたいと思ってはいても
    むずかしいですよね~
    私の場合弾くので精一杯ですし^^;
    基礎的な楽典とかを覚えて応用力がつけばいいな~と
    楽典を読んだりしているのですがなかなか・・・

    ちなみに私の楽譜も先生の書き込みばかりで
    自分の書き込みは運指だけです(笑)

  2. アリア

    のんさん、こんにちは~。
    楽譜を読むのってほんと難しいですよねえ。
    全然とっかかりがないんですもん。
    一体どうやって勉強すればいいのやら、って感じです。
    曲のテーマとか形式とか盛り上がる部分とか、細かい表示記号とか
    そういうのを1つ1つ丹念に見ていくしかないんですかね…
    ある程度数をこなしていくうちに実感として分かってくる部分もあるでしょうし
    手っ取り早くそういう本を読んで勉強したい、という考え自体が
    そもそも間違ってるのかしら。(笑)

    のんさんも書き込みはあまりしてませんか。お仲間♪
    今回、シンフォニアの14番は右手と左手が特にヤヤコシイので
    思わずその辺りも書き込みしちゃったんですけど
    なんだか先生に見られるのが恥ずかしくて。(^^ゞ
    でもね、例えば音大生なんてどうなんだろう?って思うんですよね。
    大学に行ってまで、先生は書き込みなんてしてくれるのかしら!
    基本的にあんまりしてくれなさそうな気がする…
    そうなると自分で全部メモしていかなくちゃいけないわけで。
    うーん、その辺りにももっと積極的になった方がいいのかもですね。

  3. 私も書き込みあんましないですよ。
    臨時記号の間違えるところとか、運指とかそれぐらい。
    つか、妙な具合に自分が書き込むと、先生の書き込みと
    反発しちゃうのがこわい。
    (やっぱり視覚的に訴えてくるものは、強いですから)

    楽譜って<詩>に近いものがあるんじゃないかと思うので、
    その曲を学術的に分析するとかっていうのじゃなきゃ、
    書き込みしなきゃってする必要はないと私は思うんですけどね。

    と、元音大生ですがww
    先生に注意されて、でも書き込みされなかったものは、
    レッスン終わってから自分で書いてましたよ。
    でもって、ピアノは先生も自分の楽譜見てるから、なんだかんだと
    いっても書いてくれるけど、他の楽器(管とか弦や声楽)は、
    先生は生徒の楽譜はほとんど見ないので、自分で書くしかないから、
    せっせと書いてましたよ。
    なんで、管の楽譜の方がすごい書き込みしてて、自分でもびっくりでしたよww

  4. あー、そうか、先生の書きこみと反発。
    それは確かに怖いですね。しかも結構ありそうです。
    もしや自分の書き込みのせいで、本来教わるはずだったことを
    教わりそこなうなんてこともあるんでしょうか… さすがにそれはない?
    まあ、自分が間違えてる部分は、逆に正してもらえるかもしれないですが。
    でもそうなると、書きこみをするのも考えものですね。
    運指みたいにレッスンに全然影響ない部分ならいいけれど~。
    あと、先生が書きこんで下さらなかった注意も~。

    って、音大でも先生は書き込みして下さるんですね!
    となると、音大の授業(というかレッスン?)も
    もっと普通の個人的なピアノのレッスンとあまり変わらないのでしょうか。
    でも、ピアノと他の楽器では、また全然違うんですね。面白い~。
    ピアノの常識は他の楽器の非常識? その逆も?
    管は何をされてたのでしょう。副科ですよね。気になります♪

    そして楽譜は詩ですか。
    そうかー、そもそも詩を読むのは苦手なのに… 困った。
    好きか嫌いか、でしか読めないんですよ。全然分からないから。
    物語詩なら大丈夫なんですけどね。
    とは言っても、詩を読むんだと思って楽譜を読めば、また何か変わるかも?
    まずは、もう少し細かい記号その他をきちんと意識してみます…
    楽譜にだって形式があるんだし、一応定型詩のようなものですよね♪
    自由詩は歯が立たないけど、定型詩ならなんとかなるかも?
    (いや、ならないかもですが…)

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