2011年11月10日

「音楽の正体」その7

Category : 楽典覚え書 

第13章「フランス革命なんて勝手にシンドバッド -絶対音楽とは何か-」

音楽は大きく2つに分けられます。それは標題音楽と絶対音楽。
標題音楽というのは題名がついている音楽のこと。例えばリムスキー・コルサコフの「熊ん蜂の飛行」。とても写実的に熊ん蜂が飛んでいる場面を描写している曲です。でももしこの曲に題名がなかったら、この曲を聴いた人全員熊ん蜂が飛んでいるところだと本当に分かるのか? と考えると、題名が意外と大きな役割を果たしていることが分かります。前章の「音画的手法」が、題名によって磐石にされているといったところでしょうか。
そして絶対音楽というのは、特別な題名のついていない音楽のこと。例えば「ピアノソナタ第31番」のような、ジャンル名と作品番号だけの曲のことです。題名がないから作曲家が何も意図していないのかといえば、そういうことではないのですが。

元々音楽というのは意外と制約が多かったのですね。王や貴族の依頼で作る音楽なら、それは宮廷の行事や舞踏会などの目的に沿ったものでなければならないし、教会の依頼で作る音楽ならば、神を讃える内容のものでなければならない。歌詞があるのならば、その文学的内容に沿ったものでなければならない。
しかしフランス革命によって封建的な身分制度が崩壊してしまうと、音楽は一気に自由になります。そして極端から極端へと走りたがる人間の常として、絶対音楽が生まれてきたのだそう。

ジャズにもポピュラー音楽も、絶対音楽というのは極めて少ないのだそうですが、ここで筆者が注目しているのはサザン・オールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」。確かに題名はついていますが、その意味は…??? 正直よく分かりませんね。しかも歌を一回聴いたぐらいでは内容も簡単には掴めない。これはかなり絶対音楽に近いのではなかろうか、とのこと。「桑田佳祐、さすがに天才である。音楽界の2大ジャンル、標題音楽と絶対音楽のはざまに、一人すっくと立っていたのだ」…これに関しては正直どうかなと思いますが…(笑) 狭間に立つということにどういう意味があるのかというのもよく分からないし。でも新しいという意味では、とても新鮮だったんだと思います。桑田佳祐のあの歌い方も含めて。絶対音楽と標題音楽の狭間にトータルコーディネートされていたといったところでしょうか。

第14章「結婚しようよは最後に言って -黄金のカデンツ-」

音楽における大原則は次の2つ。

  I 度に始まって I 度に終わる
  ドミナントの V 度からトニックの I 度に行って完全に終止する

これを踏まえると、いくつかの音楽的な進行形、お決まりのパターンができあがります。これがカデンツと呼ばれるもの。(これは終止法や一種のアドリブ部分を指すカデンツとはまた別です)

  I (C)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ IV (F)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ IV (F)→ I (C)

一番上のが一番単純な形。しかしこれだけでは単純すぎて飽きてしまうので、サブドミナントを入れた次のパターンも登場します。この IV と V の場所を交換してもいけそうなものですが、そうなると導音が解決できないので原則的にはダメ。その代わりに一番下のパターンなら大丈夫。強固な「 V → I 」進行に比べると弱いのですが、その分柔和な雰囲気が生まれます。(教会の「アーメン」と同じですね)

でもその3つだけだとバリエーションがあまりに乏しいのですね。そんな時に登場するのが代理和音。代理和音とはその名の通り、特定の和音の代理ができるまた別の和音のことです。代表的なのは次の3つ。(ハ長調の場合)

  I (C ドミソ) → VI (Am ラドミ)
  IV (F ファラド) → II (Dm レファラ)
  V (G ソシレ) → III (Em ミソシ)

和音において一番下の「根音」と次の「第3音」が一番大切である以上、例えば I 度の和音「ドミソ」の中で何よりも大切なのは「ド」と「ミ」の音。 VI 度の和音は、 I 度の和音の一番大切な2つの音と共通している、だから代理をすることができる、というわけです。
ただ音楽理論上、禁則というのもあります。その1つは、 III 度の和音はなるべく使わないということ。これは V の第3音(この場合は「ソ」)が「導音」と呼ばれるとても重要な音のため。そしてもう1つの禁則は、代理和音から本来の和音に行ってはいけない、ということ。その逆として、まず本来の和音を鳴らしておいて、変化が欲しくなったからと代理和音に変えるというのは可能なのですが。

代理和音があると、カデンツのパターンが大きく増えることになります。ただ、 III はなるべく使わないというきまりがある以上、一番上のパターンはそのままですが。

  I (C)→ V (G)→ I (C)

実際には I も VI で置き換えることができるはずですが、曲の途中ならともかく、初っ端から代理和音を使うのはどうなんでしょうね… それはちょっと大胆すぎる気がします。
でも、次のこれに関しては代理和音で色々な形に発展させることが可能です。

  I (C)→ IV (F)→ V (G)→ I (C)
          ↓
  I (C)→ II (Dm)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ IV (F)→ II (Dm)→ V (G)→ I (C)
  VI (Am)→ IV (F)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ VI (Am)→ IV (F)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ VI (Am)→ IV (F)→ II (Dm)→ V (G)→ I (C)

上から順番に「IVとIIの入れ替え」「IVの後で代理和音を鳴らす」「IとVIの入れ替え」「Iの後で代理和音を鳴らす」「IとIVの後でそれぞれ代理和音を鳴らす」。順列組み合わせ的にはもっと色々なパターンが作れると思うのですが、やっぱりこの辺りが一般的ということでしょうか。…そして、ここでもやっぱり I も VI で置き換えるというのは1つしか出てないんですね。やっぱり大胆すぎるということなのかな?

この形の発展形については特に書かれてませんでした。

  I (C)→ IV (F)→ I (C)

理論上では I も IV も入れ替えられるし、後で代理和音を鳴らすこともできるのに。やっぱり「 V → I 」のような確固たる終止感がないから、需要も少ないということなのでしょうか。

ということで、基本的なカデンツとしてこの本に書かれていたのは、最初の3つと発展形の5つを合わせてこの8つ。これらのカデンツを組み合わせることによって、もっともっと長いカデンツを作ることも可能です。カデンツの最後の I が次のカデンツの最初の I にもなるということですね。

でも世の中には、全く新しいカデンツをひねり出してしまう人がいるもので…
吉田拓郎の「結婚しようよ」のカデンツはこんな感じになっているのだそうです。

  I (C)→ V (G)→ VI (Am)→ I (C)

ええーっ、 VI の後に I が来るのは禁則だってさっき書いてたじゃないの!
と思いつつ。

吉田拓郎のすごいところは、この落ち着きが悪く不安定なカデンツの弱点を逆手に取って、若者の頼りなさや心の移ろいといったものを表現しまったことなのだそうです。
実際に「結婚しようよ」の進行を見てみると、最初に「結婚しようよ」という歌詞が登場するのは、まさに「 VI → I 」のところ。男が恥らいながらぎこちなくプロポーズの言葉を口にしているというわけですね。まだこの段階では口説いているだけで、本気で結婚しようとまでは思っていないのかもしれません。そして「白いギター」だの「白いチャペル」だの「お花畑」だの夢物語な歌詞が続き、曲の終盤、これは一体どうなるんだ? と思い始めた頃に「2人で買った緑のシャツを僕のおうちのベランダに並べて干そう」という生活感の表れた歌詞が登場。そしてその直後の「結婚しようよ」でようやく「 V → I 」という進行の上に乗るんですって。これは夢物語から一気に現実感を帯びて安定するという「名人芸中の名人芸というべきものだろう」だそうです。

この「結婚しようよ」、曲は耳にしたことがありますが、興味もなかったし歌詞まで考えたことなんてなかったんです。(フォークは苦手だし) でもそういうのが分かってみると面白いものですねえ。よくできてるんだなあ。

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