2011年11月16日

「音楽の正体」その8

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第15章「プリンセスプリンセスの見つけたダイアモンド -転回形と半音階的進行-」

「プリンセスプリンセス」の「ダイアモンド」の中で使われているのは「半音階進行」。半音階進行とは、かつてモーツァルトも愛用した技法で、「いわばピザにふりかける赤唐辛子のように定番のスパイスとして」使われるものなのだそう。そしてこの技法を使いまくり「表面真っ赤っ赤になってしまうほど赤唐辛子をかけた」のは、ワーグナー。それによって西洋音楽が破壊されたとまで言われたそうですが…。

半音階のことを理解するためには、まず和音の転回形を。
「ドミソ」の和音は「ミソド」「ソドミ」と鳴らすこともできます。音楽理論上では、「ドミソ」の基本形に対して「ミソド」が第1転回、「ソドミ」が第2転回。そしてこの3つの形、同じもののように見えて、実はその効果はそれぞれに違うのだそうです。ひっくりかえるほどに、安定性や信頼性が失われていくのだとか。だから曲に安定感を与えなければならないところ、例えば曲の始まりや終わりの I 度の和音、 V → I と進行する時の和音は、常にきちんと響く基本形を使うのですね。それ以外のところは比較的自由なようなんですが。
初心者がピアノでポップスを弾くと一本調子になりがちなのは、この辺りの兼ね合いのようです。譜面のコード進行を見ながら、その通りに鍵盤を押さえると、基本形ばかりになってしまいがち。適当に転回形を混ぜながら弾かないと、いつも肩に力が入ったような状態になってしまうのだそうです。基本はベースラインがなだらかなメロディになるように転回形を織り込んでいく、だそうなんですが… 咄嗟には難しいよー。

そして、比較的自由な時の和音の進行で定番なのは、音階の音通りに1つずつ下がっていく順次進行と、半音ずつ下がっていく半音階的進行なのだそうです。(もちろん上にあがっていく進行もあり得ますが、実際にはそれほど多くないらしい) どちらもベースラインに現れた時に「音楽に大変な流麗さをもたらし、楽曲をグッと豊かにする」のだとか。

その進行が使われている曲で有名なのは、山下達郎「クリスマス・イブ」や松任谷由美「守ってあげたい」、プリンセスプリンセス「ダイヤモンド」など。特に「ダイヤモンド」は、基本形に始まり、第2転回形→第1転回形→第1転回形→第1転回形→第2転回形→第1転回形と不安定な状態が続き、メロディの区切りの8小節目でドミナントの基本形に戻る、そして上向きの半音階進行も巧みに組み合わせられているという構成の上手さなのだそうです。(へええ)

第16章「竹内まりやの「告白」に鼓動を聞く -内声と外声-」

音楽を聴いていて、普通一番最初に耳に入ってくるのは一番高いところで鳴っているメロディ。でも一番低いところで鳴っているベースも聞き取れるようになると、俄然音楽の楽しみが広がるそうで…
例えば、竹内まりやの「告白」。これは冒頭部分で電話の音が鳴り、続いて緊張感のあるキーボードの和音が鳴り、そして入ってくるベースの音はまさに心臓の鼓動。そこにバスドラムが重なってその音を強調。聴く側が実際にはそれと意識していなくても、ある種の雰囲気は伝わる、演出的意図を持ったベース。音画的手法を用いたベースの好例なのだそうです。そして中間音域ではピアノの半音階進行が。

ポピュラーでもロックでも、名曲と言われる曲は内声にも綺麗な旋律が入っているものなのだそう。メロディを楽しみ、歌詞を楽しみ、和音の流れを楽しみ、ベースを楽しみ、そして内声を楽しむ。芝居にたとえれば、主役だけが頑張っているのではなく、台詞もないようなその他大勢まで、みんなが素晴らしい演技をしてこそ、よくできた舞台になるというようなものなのだそうです。竹内まりやの「告白」は、この内声まですごく上手くできている良い例だそうなのですが…

まあ、この辺りは普段からバッハを聴いていれば、改めて言われなくても分かりますよね。



2011年11月10日

「音楽の正体」その7

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第13章「フランス革命なんて勝手にシンドバッド -絶対音楽とは何か-」

音楽は大きく2つに分けられます。それは標題音楽と絶対音楽。
標題音楽というのは題名がついている音楽のこと。例えばリムスキー・コルサコフの「熊ん蜂の飛行」。とても写実的に熊ん蜂が飛んでいる場面を描写している曲です。でももしこの曲に題名がなかったら、この曲を聴いた人全員熊ん蜂が飛んでいるところだと本当に分かるのか? と考えると、題名が意外と大きな役割を果たしていることが分かります。前章の「音画的手法」が、題名によって磐石にされているといったところでしょうか。
そして絶対音楽というのは、特別な題名のついていない音楽のこと。例えば「ピアノソナタ第31番」のような、ジャンル名と作品番号だけの曲のことです。題名がないから作曲家が何も意図していないのかといえば、そういうことではないのですが。

元々音楽というのは意外と制約が多かったのですね。王や貴族の依頼で作る音楽なら、それは宮廷の行事や舞踏会などの目的に沿ったものでなければならないし、教会の依頼で作る音楽ならば、神を讃える内容のものでなければならない。歌詞があるのならば、その文学的内容に沿ったものでなければならない。
しかしフランス革命によって封建的な身分制度が崩壊してしまうと、音楽は一気に自由になります。そして極端から極端へと走りたがる人間の常として、絶対音楽が生まれてきたのだそう。

ジャズにもポピュラー音楽も、絶対音楽というのは極めて少ないのだそうですが、ここで筆者が注目しているのはサザン・オールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」。確かに題名はついていますが、その意味は…??? 正直よく分かりませんね。しかも歌を一回聴いたぐらいでは内容も簡単には掴めない。これはかなり絶対音楽に近いのではなかろうか、とのこと。「桑田佳祐、さすがに天才である。音楽界の2大ジャンル、標題音楽と絶対音楽のはざまに、一人すっくと立っていたのだ」…これに関しては正直どうかなと思いますが…(笑) 狭間に立つということにどういう意味があるのかというのもよく分からないし。でも新しいという意味では、とても新鮮だったんだと思います。桑田佳祐のあの歌い方も含めて。絶対音楽と標題音楽の狭間にトータルコーディネートされていたといったところでしょうか。

第14章「結婚しようよは最後に言って -黄金のカデンツ-」

音楽における大原則は次の2つ。

  I 度に始まって I 度に終わる
  ドミナントの V 度からトニックの I 度に行って完全に終止する

これを踏まえると、いくつかの音楽的な進行形、お決まりのパターンができあがります。これがカデンツと呼ばれるもの。(これは終止法や一種のアドリブ部分を指すカデンツとはまた別です)

  I (C)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ IV (F)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ IV (F)→ I (C)

一番上のが一番単純な形。しかしこれだけでは単純すぎて飽きてしまうので、サブドミナントを入れた次のパターンも登場します。この IV と V の場所を交換してもいけそうなものですが、そうなると導音が解決できないので原則的にはダメ。その代わりに一番下のパターンなら大丈夫。強固な「 V → I 」進行に比べると弱いのですが、その分柔和な雰囲気が生まれます。(教会の「アーメン」と同じですね)

でもその3つだけだとバリエーションがあまりに乏しいのですね。そんな時に登場するのが代理和音。代理和音とはその名の通り、特定の和音の代理ができるまた別の和音のことです。代表的なのは次の3つ。(ハ長調の場合)

  I (C ドミソ) → VI (Am ラドミ)
  IV (F ファラド) → II (Dm レファラ)
  V (G ソシレ) → III (Em ミソシ)

和音において一番下の「根音」と次の「第3音」が一番大切である以上、例えば I 度の和音「ドミソ」の中で何よりも大切なのは「ド」と「ミ」の音。 VI 度の和音は、 I 度の和音の一番大切な2つの音と共通している、だから代理をすることができる、というわけです。
ただ音楽理論上、禁則というのもあります。その1つは、 III 度の和音はなるべく使わないということ。これは V の第3音(この場合は「ソ」)が「導音」と呼ばれるとても重要な音のため。そしてもう1つの禁則は、代理和音から本来の和音に行ってはいけない、ということ。その逆として、まず本来の和音を鳴らしておいて、変化が欲しくなったからと代理和音に変えるというのは可能なのですが。

代理和音があると、カデンツのパターンが大きく増えることになります。ただ、 III はなるべく使わないというきまりがある以上、一番上のパターンはそのままですが。

  I (C)→ V (G)→ I (C)

実際には I も VI で置き換えることができるはずですが、曲の途中ならともかく、初っ端から代理和音を使うのはどうなんでしょうね… それはちょっと大胆すぎる気がします。
でも、次のこれに関しては代理和音で色々な形に発展させることが可能です。

  I (C)→ IV (F)→ V (G)→ I (C)
          ↓
  I (C)→ II (Dm)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ IV (F)→ II (Dm)→ V (G)→ I (C)
  VI (Am)→ IV (F)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ VI (Am)→ IV (F)→ V (G)→ I (C)
  I (C)→ VI (Am)→ IV (F)→ II (Dm)→ V (G)→ I (C)

上から順番に「IVとIIの入れ替え」「IVの後で代理和音を鳴らす」「IとVIの入れ替え」「Iの後で代理和音を鳴らす」「IとIVの後でそれぞれ代理和音を鳴らす」。順列組み合わせ的にはもっと色々なパターンが作れると思うのですが、やっぱりこの辺りが一般的ということでしょうか。…そして、ここでもやっぱり I も VI で置き換えるというのは1つしか出てないんですね。やっぱり大胆すぎるということなのかな?

この形の発展形については特に書かれてませんでした。

  I (C)→ IV (F)→ I (C)

理論上では I も IV も入れ替えられるし、後で代理和音を鳴らすこともできるのに。やっぱり「 V → I 」のような確固たる終止感がないから、需要も少ないということなのでしょうか。

ということで、基本的なカデンツとしてこの本に書かれていたのは、最初の3つと発展形の5つを合わせてこの8つ。これらのカデンツを組み合わせることによって、もっともっと長いカデンツを作ることも可能です。カデンツの最後の I が次のカデンツの最初の I にもなるということですね。

でも世の中には、全く新しいカデンツをひねり出してしまう人がいるもので…
吉田拓郎の「結婚しようよ」のカデンツはこんな感じになっているのだそうです。

  I (C)→ V (G)→ VI (Am)→ I (C)

ええーっ、 VI の後に I が来るのは禁則だってさっき書いてたじゃないの!
と思いつつ。

吉田拓郎のすごいところは、この落ち着きが悪く不安定なカデンツの弱点を逆手に取って、若者の頼りなさや心の移ろいといったものを表現しまったことなのだそうです。
実際に「結婚しようよ」の進行を見てみると、最初に「結婚しようよ」という歌詞が登場するのは、まさに「 VI → I 」のところ。男が恥らいながらぎこちなくプロポーズの言葉を口にしているというわけですね。まだこの段階では口説いているだけで、本気で結婚しようとまでは思っていないのかもしれません。そして「白いギター」だの「白いチャペル」だの「お花畑」だの夢物語な歌詞が続き、曲の終盤、これは一体どうなるんだ? と思い始めた頃に「2人で買った緑のシャツを僕のおうちのベランダに並べて干そう」という生活感の表れた歌詞が登場。そしてその直後の「結婚しようよ」でようやく「 V → I 」という進行の上に乗るんですって。これは夢物語から一気に現実感を帯びて安定するという「名人芸中の名人芸というべきものだろう」だそうです。

この「結婚しようよ」、曲は耳にしたことがありますが、興味もなかったし歌詞まで考えたことなんてなかったんです。(フォークは苦手だし) でもそういうのが分かってみると面白いものですねえ。よくできてるんだなあ。



2011年11月09日

「音楽の正体」その6

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第11章「坂本九・オサリバン・ミスチルの旅したパラレルワールド -胸キュン準固有和音の構造学-」

9章・10章は倚音(いおん)による「泣き」の話でしたが、「泣き」は旋律上のものだけでなく、和声構造上のテクニックもあります、という章。それは「同主短調」。

同主短調とは、同じ主音を持つ短調のこと。ハ長調におけるハ短調。同じ主音(ド)を持つけれど、ハ長調とは違って、物悲しい雰囲気が漂う調。SFにおけるパラレルワールドのようなもの。同じ主音だから転調する必要もなく、簡単に行き来できるのだけれど、元の世界と似て非なる世界。曲の中にに物悲しさを自然に流れ込ませることができ、陰陽の抑揚をつけたらさっと長調に戻ればいいという便利な調なのだそう。人生の光と影を自然に作り出すことができるというわけですね。

そして、長調にとっての和音が「固有和音」であるのに対して、同主短調の和音は「準固有和音」というのだそうです。
ポップスの世界でよく使われる準固有和音は、 ∘II と ∘IV 。(説明がありませんでしたが、どうやら左側に「∘」をつけると準固有和音を示すみたいです) ロックの世界でよく使われるのは ∘III と ∘VI と ∘VII 。ハ長調の場合だと、ポップスでよく使われるのは Dm-5 と Fm 。ロックでは E♭と A♭と B♭。(ハ長調における V 「ソシレ」は、ハ短調においても「ソシレ」なので使う意味がない)
E♭と A♭と B♭がポップスで使われない理由は、その3つがメジャーコード(長三和音)だから。せっかく物悲しい雰囲気を出そうとしているのに、わざわざメジャーコードを借りてくることはない、せっかくならマイナーコードを借りたほうがよい、ということ。でもロックでは逆に、クラシックの世界では滅多に使われることのない ∘VI と ∘VII が逆に偏愛されるのだとか。例えばローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」の印象的な部分は、ほとんどこの ∘VI と∘VII によって作られているのだそうです。(この曲、ストーンズの中で一番好き!)

そしてポップスに話を戻すと、よく使われているのは ∘II と ∘IV 。ハ長調で言えば Dm-5 (レファラ♭)と Fm (ファラ♭ド)で、どちらもラの♭が共通しています。ハ長調の中にもラの音はあるのに、半音違うこのラ♭が流れ込むだけで「一種独特の胸キュン状態をかもしだす」のだそうです。一見安定しているように見えていた長調の世界が、わずか半音1つで悲哀あふれる世界にすべり落ちていってしまうものなんですって。そして名曲とされる曲は、そういう音と歌詞のマッチングもとても巧みなのだとか。
具体例としては、坂本九の「上を向いて歩こう」、Mr. Children の「innocent world」「everybody goes」、Gilbert O’sallivan の「Alone Again」など。

第12章「シカゴのブラス音が雑踏に消える時 -音画的手法とは何か-」

普通の楽器を鳴らしているだけなのに、その情景が浮かぶ… 音楽理論の世界では、そのように音で絵を描くことを「音画的手法」と呼んでいるのだそう。有名なのは、リムスキー・コルサコフの「熊ん蜂の飛行」。細かく動くヴァイオリンの音がまるで蜂の飛ぶ音のように聞こえてきます。クラシックだと、あとはベートーヴェンの「運命」の冒頭のあの扉を叩く部分や、「田園」の中のカッコウの鳴き声に似せた部分、マーラー「巨人」の宮廷入場風のファンファーレなど。でも描写に徹して恥ずかしげもなくやらない限り、誤解されたり気づかれなかったりという憂き目にさらされる可能性も大。(実際、ここでドゥービーブラザーズの「ロング・トレイン・ランニン」も挙げられていたのですが、あの前奏のギターのリフが「列車の車輪が勢いよく回る様」だとは今の今まで知りませんでしたよ)

そこで、楽器で真似なんてしないで、本物の音(具体音)を使ってしまおう!なんていうのも出てきます。ビートルズの「バック・イン・ザ・U.S.S.R 」の冒頭の飛行機の音とか、「イエローサブマリン」の潜水艦の中の音」とか、テレビ映画「ローハイド」のムチの音とか、ハイドンの「おもちゃの交響曲」のおもちゃの音とか。

でもそうなると具体音だけ集めても音楽になるじゃないかということで、そういうジャンルも出てくるわけで…。町の雑踏の音や人の声が入り混じるビートルズの「レボリューション9」や、ピンク・フロイド「原子心母」、シカゴの「プログレス?」とか。

うーん、こういう発展史的なものにはあまり興味ないなあ。



2011年11月08日

「音楽の正体」その5

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第9章「津軽海峡イオン景色 -音楽の「泣き」とは何か-」

万人が泣ける曲の秘密とは何か。メロディがいいとか、歌詞が切ないとか、バックのギターがかっこいいとか、そういった要素も色々とあるのですが、そこにはやはりおきまりのテクニックというものがあるのですね。

それは倚音(いおん)。
倚音というのは、本来の音の隣の音がいきなり鳴ること。楽典の本には「刺繍音の最初の和声音が省かれて、隣接音から始まる場合。2度上行、または下行して解決する」としか書いてなくて、だからどうなんだ?って感じだったんですけど、これがとてもインパクトがある音なのだそうです。あらゆる音楽の中でここぞという時に盛り上げの必殺ワザとして使われるのだとか。なるほど、そうだったのですねえ。(こういうのが知りたかったんですよ、私は)

この倚音は非和声音と呼ばれるもの。もちろん和音の中にある音を使って曲を作るのが原則ですし、そうやって曲を作ることもできるのですが、それじゃあ単純な曲しか作れない。しかもどこかゴツゴツとした面白味のないものになりがち。だから少し装飾をしたくなるのが人情というわけで、そういう時には非和声音を使うことになります。
代表的なのは次の4つ。

  経過音…音が飛んでいる場所を埋めるように入れた音。メロディを滑らかにする
  補助音…刺繍音。刺繍をするように和声音から隣の音に行ったり来たりする
  掛留音…1つ前の小節の和声音が次の小節まで残り、非和声音となったもの
  倚音…自由掛留。本来の和声音の隣の音からメロディが始まっているもの

そしてこれらの4つの非和声音の中でも、倚音は特に自由気ままな存在。「イキナリ現れて、ガーンとかます、これが非和声音の女王、倚音の正体」なのだだそうです。

この倚音を効果的に使っているのが、ビートルズの「イエスタデイ」。歌の出だしからいきなりの倚音。本来鳴ってはいけない音からいきなり入って驚かせておいて、さっと和声音に解決。さすがは天才・ポール・マッカートニーの仕事だそうな。

そして倚音を効果的に使っている曲といえば、「津軽海峡冬景色」「港町ブルース」のような演歌。演歌のコブシと倚音は結びついていることが多いのだそうです。演歌が歌えない人でも、本来あるべき音の1つ下の音から持ち上げるように歌うとコブシっぽくなるそうで、その「1つ下の音」というのがまさに倚音というわけですね。ただ、倚音はインパクトが強いだけに、あまり何度も使うと「ワサビを塗りすぎたトロ状態」(笑)になって、ピリッとした刺激が効かなくなってしまうようです。

演歌以外では、映画音楽の「ムーン・リバー」「追憶」などが挙げられていました。

第10章「クラプトンのギターが優しく泣く間に -非和声音の麻薬的常用-」

70年代のロックシーン。当時のギターソロで最も重要なワザと言われていたのがチョーキング。リズムギターでカッティングするのは野暮の野暮、ギターソロでアドリブをやってナンボ、という時代だったらしいです。(私はカッティングも好きなんだけど!) 確かに70年代の3大ギタリストであるエリック・クラプトンもジミー・ペイジもジェフ・ベックも、チョーキングがカッコよかったですよねえ。日本人だったらチャー(竹中尚人)かなあ。クィンクィーンと堪らなかったです。(70年代のロックシーン、大好きなのです♪)

チョーキングとは、普通に弦を一本左の指で押さえ、右手のピックでその弦を弾き、その後、弦を押さえたまま上へと押し上げるという技法。例えばソの音を最初弾いたとしたら、チョーキングによってソの音がソ♯やラに上がるんですね。つまり、あらかじめ出したい音の1~2音下のフレットを押さえておいて、チョーキングで出したい音にまで持ち上げる。

そしてこの音程を上げる前の音、本来出したい音の1~2度下に当たる音が、倚音というわけです。
このチョーキングを、ギター少年たちは「ギターが泣いている」と表現したのだそうで… 私もバンドをしていたことがあって、ギター少年たちとの付き合いも色々あったんですが、そこまでは知らなかったですね。そうだったのか。(でも考えてみたら聞いたことがあるような気もしてきました)
でも演歌もロックも同じように倚音で泣かせていたというのは、どういうことなんでしょうね。演歌とロックというのは実は繋がっていたのか。それとも日本人は倚音に弱いのか。それとも万国共通で倚音に弱いかな? 演歌も海外に輸出したら案外ウケるものなのかしら?

なんて思っていたら、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」も倚音の技法が高度に使われた曲なのだそうです。1つの倚音がじらしにじらされて、思い入れたっぷりにようやく解決された頃には次の倚音が鳴り出していて、それがようやく解決された頃にまた別の倚音が鳴り出していて…
そのじらしのテクニックに、聴き手はまた泣かされるというわけですね。



2011年11月07日

「音楽の正体」その4

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第7章「モンキーズの見た白昼夢 デイドリーム・ビリーバー -ドッペルドミナントの魔法-」

1960年代、ビートルズ旋風が吹き荒れていた頃、アメリカの音楽界が何とか巻き返しを図ろうと人工的に作り出したのがモンキーズ。ごく普通の若者だった彼らをスターに仕立て上げるために、連続ドラマまで作られたんですね! そのモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」には、「聴くものを白昼夢に誘い込む音楽的な魔法が仕組まれている」のだそうです。
それはドッペル・ドミナントのこと。ドッペルゲンガーなんて言葉も時々耳にしますが、ドッペルというのはドイツ語で、英語におけるダブルのこと。ドミナントがダブル。

これまでにも出てきた通り、ハ長調では「ソシレ(G)」にあたるドミナントが曲の中でとても重要なわけですが、そのドミナントをもっと強調するにはどうすればいいのか? といえば、一時的にドミナントの調に転調すればいいのですね。ソシレが主和音となる調といえばト長調。ハ長調からト長調に転調する。そしてト長調に転調したことを明確にするためには、ト長調のドミナントを出せばいいというわけ。(ト長調のドミナントはレファ♯ラ、つまり D )
つまり「D→G→C」という流れがあった時。これを理論的に読み解いてみると、ト長調に転調した曲を V → I で一旦解決、そしてこのト長調における I は同時にハ長調における V でもあるので、さらにIである C の和音へといって終止、というわけ。

このドッペルドミナントは、筆者いわく「誰も知らない渋谷の雑踏の中で、親友の親友に偶然知り合ったかのように」(笑)ほっとあったかい気持ちにさせてくれるものだそう。だからその直前に寂しさを演出しておいた方が、救われた気持ちが増して効果的なんだそうな。
そしてモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」には、しっかりマイナーコードが配置されて、寂しさも演出されていんですって。このドッペルドミナントが使われている他の例としては、映画「チキチキ・バンバン」の主題曲。これもドッペルドミナントの直前に、しっかりマイナーコードが配置されていました。いずれにしても長く続くわけではなく、せいぜい1小節といったところ。たった1小節のマイナーコードって、実際に聴いていて寂しさを意識するほどの長さじゃないと思うんです。むしろあっという間。でもそれが逆に隠し味的な効果を発揮しているのでしょうね。

第8章「赤いスイートピーはどこへ行ったのか -副5度によるシーン展開-」

映画にも音楽にも意外な展開は必要。そうでなければドラマにはならないし、クライマックスの盛り上がりにも欠けますね。そんな時に便利なのが副5度。
この副5度、ドッペルドミナントとそれほど変わらないのです。ドッペルドミナントは V 度和音を主和音とする調に転調(ハ長調の時のト長調)という話だったのですが、ト長調以外に転調した時のドミナントが「副5度」なんです。本来 V 度だけでなく II 度・ III 度・ IV 度・ VI 度の和音を主和音とみなす調に転調することができますしね。こまめな転調とこまめな演出に欠かせないのが、この副5度という和音。

そして松田聖子「赤いスイートピー」。
筆者は「臨時転調の妙をこれほど駆使し、しかもさりげなさのオブラートで包んだ名品も珍しい」と絶賛。

まず冒頭の「春色の汽車」から「シャツにそっと」までのくだり、わざとよくある和音つなぎになっている。何事も起きず平穏なままの情景描写。 I 度(C)の次に II 度(Dm)、 III 度(Em)ときて VI (Am)、いかにものどかではないか。田園のなだらかさそのままの音の流れである。ところが「シャツにそっと寄りそう」という主人公の清純な少女としてはちょっと相手をドキッとさせる積極的な恋のモーション(色仕掛けと言ってもいいかもしれない)が始まると、ちゃんと和音も意外さを出して、 IV 度の副5度(C7)がジャーンと鳴る。 IV 度調(F調)という I 度からみて明るく華やかな調で新たなシーン展開が始まるのだ。
そこで2人の恋の半年が語られ、「あなたって手も握らない」という女のコにとっての切なく初々しく、しかしほのかな欲情も感じさせる歌詞になると、そこは悲しみを表現しやすいマイナー調である VI 度調(Am調)への転調に当てている。
この構成は見事というほかはない。
女のコのちっちゃな悲しみをわずか1小節の短調部分に凝縮する、そのインパクトは聴く者をドキッとさせずにはおかないのだ。そしてサビの部分、一転して短調から開放されてI度調つまり元の調に戻り今度は愛情をストレートに歌い上げる。

という「赤いスイートピー」もユーミンの曲です。

この曲では、 IV 度調(F調)と VI 度調(Am調)に臨時に転調しているわけですが、この2つはまた対照的な調のようです。 IV 度調は明るく派手で華やいだ感じ。つまりサブドミナント的な調。そして VI 度調は原調とは平行調にあたるマイナー調で、こちらは悲しさを演出するのにぴったりなのだそう。
副5度を効果的に使った例としては、平松愛理「部屋とYシャツと私」、中島みゆき「時代」、「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの歌」、中山美穂「幸せになるために」、Ronets「Be My Baby」など。

この記事を書いてて思ったんですけど、クラシックの楽曲分析をしようと思ったら、まずはコード名を書き込んでみるというのもいいかもしれないですね。いきなり I 度とか IV 度とか書き込むよりも、そっちの方が確実な感じ。たとえ気がつかないうちに転調してても、後から対応できるでしょうし。 I 度とか IV 度とかって相対的なものだし、要するに「移動ド」みたいなものなんでしょうか。コード名を書き込むのは「固定ド」で。(と書きつつ、私の「移動ド」「固定ド」の観念も合ってるのかどうか不明なんですが)



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