2010年07月09日

バッハの読譜

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バッハの楽譜を読むためにいい本ないかなーと探してたんですけど、見つけちゃいました!
大島富士子さんの「正しい楽譜の読み方」です。副題は「バッハからシューベルトまで ~ウィーン音楽大学インゴマー・ライナー教授の講義ノート」。その副題の通り、ウィーン音楽大学のライナー教授の講座「歴史的演奏法」を基に、大島富士子さんが書きあげたもの。月刊誌「現代ギター」に11回にわたって連載され、それが1冊の本にまとめられたのだそうです。著者の大島富士子さんは、声楽家でありながら通訳・翻訳もこなし(オーストリア国家公認日本語法廷通訳者・翻訳者としての資格を所持!)、ライナー教授の講演の通訳者として、あるいは演奏会の共演者として、ウィーンや日本で活動を続けているのだとか。

この本、全部で85ページしかない薄い本なんですけど、内容がとても濃くてびっくりしてしまいます。まだ全部は読んでないんですけど(あらら)、第3章の「テンポについて」4章「テンポの決め方」のところでもう既に目からウロコが落ちまくり。18世紀の「テンポ・オルディナーリ(通常テンポ)」という概念からして、全然知らなかったし! この「通常テンポ」とは、健康な大人の脈拍(1分間に60~80)や歩く速さを基本に曲のテンポを決めるというもの。曲のテンポを決めるのに脈拍や歩く速さを使うというだけならどこかで聞いた(読んだ)ことがあるし、メトロノームが発明される前の時代ということで容易に納得できるんですが、それだけじゃありません。そこから「通常テンポ」が定められるんです。基本的に、脈拍1回分が1小節の長さになるんですね。そして曲の拍子が変わっても、1小節の時間的な長さは変化しないんです。例えば4分の4拍子なら、1つの脈の間に四分音符が4回。4分の3拍子なら、1つの脈の間に4分音符が3つ。これが基本。

もちろん例外もあります。
 1.曲の中に16分音符や32分音符が多い場合
  (一番細かい音符が連なってる部分が、容易に、しかも美しく弾けるテンポとなる)
 2.1とは逆に細かい音符が全くなく、2分音符や全音符ばかりの場合は速め
 3.変化記号が多い複雑な調性の曲は、単純な調性の曲(一番単純なのはハ長調)よりも遅め
 4.長調は速め、短調は遅め
 5.複雑な音程や音程の離れた跳躍がある場合は遅め。跳躍なしにスムーズに上下行する時は速め
 6.不協和音が多い曲は遅め
 7.作曲家の指示している演奏表情用語やテンポ用語などに従う
 8.舞曲の場合は、その舞曲の本来の性格からテンポを決める

この場合の「速め」や「遅め」は、全て「通常テンポ」が基本となります。この時代、純粋に速度だけを表していたのは「lent」「presto」の2つだけだったんですって。(もちろんそれも「通常テンポ」が基本となる) あと、例外にも入れましたが、バロックの時代の音楽は80%が舞曲だったので、舞曲かどうか判断するのがとても重要。舞曲に関しては、たとえ実際には踊らない、器楽作品として独立した作品になっても、「通常テンポ」のきまりからは除外されるのだそうです。

まだ半分も読んでないのに、こんなに勉強になる本だったなんて! 図書館には置いてなくて、「現代ギター」に連載…?と頭の中にはてなマークが飛び交いつつ買っちゃったんですが、これは正解でしたー。「現代ギター」って、クラシックギターの専門誌だったんですね。(ギターと聞くと、まずエレキギターを想像してしまう私) 買って良かったです!

ちなみに全部で11章。

 第1章 楽譜の基本
 第2章 楽譜の比較
 第3章 テンポについて
 第4章 テンポの決め方
 第5章 舞曲について
 第6章 舞曲の種類
 第7章 装飾音符について
 第8章 装飾音符の種類
 第9章 アーティキュレーションについて
 第10章 楽譜の選び方、見方について
 第11章 誤解されやすい用語や記号について

巻末には、参考文献だけでなく、大島富士子さんが選んだ推薦図書も載ってます。さらには索引も。こんな薄い本だし、章の分け方が分かりやすいのでとりあえずは必要なさそうですが、やっぱり索引はあると便利かもしれないですね。続きを読むのも楽しみ~♪



2010年05月12日

理数系のピアノ

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アマゾンで妙にオススメされ続けていた金子一朗さんの「挑戦するピアニスト 独学の流儀」を読みました。金子一朗さんの本業は早稲田中・高等学校の数学の先生。でも2005年、42才の時にピティナ・ピアノコンペティションのソロ部門・特級グランプリを受賞。それ以来数々のオーケストラと共演し、ソロリサイタルを開き、CDを発表しているという異色のピアニスト。

読む前からある程度予想はしてたんですが、ちょっと理性が勝ち過ぎてる気がします。この方の演奏は、自然の風景のあるがままの美しさではなくて、人工的に作られた庭園の美しさじゃないかしら、なんて思ってしまう…
なーんて、今まで全然聴いたことがないのに、そんなこと言っちゃいけないんですが。
それでもやっぱり、こういうのが理数系の人のピアノなんでしょうね。本業が忙しいから、効率のいい練習方法を編み出す必要があったというのはよく分かるし、例えば、楽曲分析は自分の感覚で感じたものが正しいことを裏付けつつ、直感では気がつかないようなことを発見する手段であり、しかも暗譜する時にも有効、というのはよく分かるんですが… ここまで数学的にやられると、人間の感情とか感動も再構築されて、また違うものになってしまうような気がするー。理論や理屈を超えた何かって絶対あると思うんですけどーー。

それと、この方は技術的に本当に困ったことがないんでしょうね。小学校高学年の頃からバッハの平均律を弾いてたり、中学2年の時にはツェルニー50番をもうやらない宣言をしてみたり、きっと元々才能があったんでしょう。才能があって、生まれながらにピアノに向いた手をしていて。でも、一般人にとって技術的な問題はもっと大きいはず! 誰もがピアノに向いた手をしてるってわけじゃないんだし。ここまでくると、いくら問題点を頭で考えるとは言っても「それ以前の問題なのよー!」と言いたくなる人、多いんじゃないかしら、と思ってしまいます。(それはワタシか)
などと言いつつも、色々勉強になる本ではありました。プロのピアニストがここまで自分の手の内をさらけ出して書いたというのが、何よりもまず凄いことだと思いますしね。いくら科学的に楽曲を分析をしていても、演奏した時にそれを聴き手に感じさせなければいいわけだし。そこまで1つ1つの曲を自分のものになさってるということなんでしょう。

以下は本文からのメモ。
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2010年04月28日

楽譜はどうやって「読む」の?

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最近つらつらと考えていたのは、楽譜を読むということについて。テクニックに関してはツェルニーで底上げを狙ってるんですが(だんだん自分の得意・不得意が見えてきたような気がします)、それ以外の部分に関しては何をどうすればいいんでしょうね?

ピアノを弾く時には楽譜が全て。楽譜に書かれているのは、調号、拍子、テンポ、音符、休符、アーティキュレーション。音の高低や長短、強弱。ペダリング。楽譜に書かれていることが全てで、読み方さえ知っていれば、必要な技術さえあれば、誰にでもその曲は弾けるはずなのだけど… でも同じ楽譜を使っていても、そこに生まれてくるのは人それぞれに違う演奏。もちろん演奏者それぞれの音楽性や技術力の違いもあるんですけど、そもそも楽譜に作曲家の意図が全て盛り込まれている以上、その楽譜に対する読み込みの深さが大きく関係してくるんだろうと思うんです。小説を読みながら、その行間からくみ取れるものがあるように、楽譜の余白には、今の私には読みとりきれてないものが沢山潜んでるのでは? 同じようにフォルテやピアノの表示があっても、そこに要求されているものはそれぞれに違うはずだし、読み方さえ知っていれば、必然的に見えてくるものがあるのでは? でもそういうのって楽典の本や辞書で調べられるようなことばかりではないですよね。
例えば、自分でそれなりに弾いているつもりでも、レッスンの時に先生に一言二言もらうだけで曲が急に歌い出すというのはよくあること。それはとても好きな瞬間だし、レッスンを受ける醍醐味の1つだとも思うんだけど… でも先生のその一言って、楽譜に直接書いてあるようなことではないんですよね。先生がその楽譜から読みとったりイメージしたことだったりするわけです。自分でそれを探しだすのはどうやったらいいの? 同じ想像をふくらませるにしても、私のイメージは先生のイメージみたいに地に足がついてないよ!

なんて思っていたところに手にしたのが、室井摩耶子さんの「ピアニストへの道」。この本に書かれているのは、東京芸大を卒業してピアニストとしてデビュー、芸大でも教鞭を取ってらしたという室井さんがベルリン音楽大学に留学していた頃の話。この方、ヴィルヘルム・ケンプにも師事されていて、その時のエピソードも沢山登場するんですよー。演奏を聴いて漠然と思っていたケンプ像がそのままこの本にあってなんだか嬉しい!…というのもあるんだけど(笑)、今回の本題は楽譜を読むことについて。ベルリンで勉強するうちに室井さんが「音楽語」の読み方を徐々に会得していく場面が、読んでいてものすごく響いてきました。

やがて楽譜というものが、私にとって段段と幅広く、奥深く複雑になっていった。そして、音にきびしい耳を向ける習慣とともに、譜面を見る目も段段きびしくなっていく。

楽譜の中に入ってみればみるほど、作曲家がなんと音楽をよく知り、部分部分に細かい宝石をちりばめながら大きい流れをがいていくものかと、何度でも改めて感心させられるものだった。

こういう風に思えるようになりたいんですが…。
この本でも、ショパンのプレリュード「雨だれ」やベートーヴェンのソナタ「悲愴」、モーツァルトのピアノ協奏曲などの楽譜を例に色々説明されていました。

同じ音が変わらぬリズムで並んでいるのは、エネルギーの積み重ね、言いかえれば積み重なっていくしつっこさを要求する。そのように弾くことによって、右手のメロディと違った性格を帯びてくる。(雨だれ)

第一小節目の第四拍後半は、両手とも休止符になっている。最初のfpのつけられたアッコードは人の心におもしをつけて、深みに心を引きずりこむ。そして奥底で呟くような符点の動きの後、それは四分音符と八分音符ですっと吸いこまれるように消える。(悲愴)

空間。その空間はある緊張感をはらみ、そしてそれが溢れて、左の鋭い三十二分音符を伴った次のfpのアッコードになって飛び出してくる。同じ三十二分音符でも、前の暗い符点のときの三十二分音符と、この緊張からなだれこんだような三十二分音符とはまったく別の意味合いをもつのである。(悲愴)

でも、こういうのを読むとなるほどなあと思うんですけど、私の方にまだ全然応用力がないから、そこで止まっちゃう。こういうのを数読めば、そのうちパターンが掴めてくるような気もするんだけど、あんまりそういう本って見かけないですしね。(知らないだけかな) で、やっぱりまずは楽典かなあ、と初心者向けの本を1冊読んだところなんですが… こういうのって知識として知っているだけでは全然ダメなんですよね、きっと。十分知った上で本当に理解して「体得」しなくちゃ。細々とでも勉強してたら、いつか私にも目が開かれるような瞬間が訪れるのかしらー。

この本が面白かったので他にも著作がないかと調べてみたら、先日読んだ「チェルニーってつまらないの?」(記事)と同じ方の本だったということに気付いてびっくり。大正10年生まれの88歳、生涯現役ピアニストだという室井摩耶子さん。あの本を書いたのは、そんな年配の方だったのか! もっと若い方なのかと思ってました。そう言われてみれば、と納得もするんだけど。公式サイトもあります。→コチラ
そういえば、以前テレビに出演されてるのを見た覚えがあります。弾いてらしたのはベートーヴェンの「月光」。

で、続けて、同じく室井摩耶子さんの「ひびきを求めて―ピアニストからのメッセージ」も読んでみたんですけど、こちらはもっと普通のエッセイ集でした。「ピアニストへの道」の方が良かったです。でも、私もCDを持っているアマデウス・ウェーバージンケについても触れられていて、その辺りは収穫でした。丁度インヴェンションとシンフォニアの演奏についても触れられていたし。「バッハが自分の子供の音楽の勉強のためにかいたこの各二ページ程の曲集は全部で三十曲であるが、教授の手にかかると各曲がそれぞれ違ったキャラクターをもっていて、或いは堂々と、或いは優雅に、或いは躍動的にと音やリズムの間からその性格の魅力が溢れ出してくるのである」「教授は非常に力強い演奏はされるが、決してオーバーな表現をされたりしない。実に素晴らしい場面転換で音色が変わるが、決してそのためのテクニックを弄んだりなさらない。バッハの音楽が語り度いまま…。全く自然なのである」…ヴィトルオーゾ的ではなく、あまり派手に脚光を浴びることのないウェーバージンケ。日本ではそれほど名前を知られていないと思うのだけど、ヨーロッパではよく知られている存在。でもヨーロッパではシューマンの演奏に定評がある方なのだそうです。どんなシューマンを弾くんだろう!

そして先日、書店でふと目についたのは、雑誌の「CHOPIN」。今月の特集は、「楽譜を読む」ですって! 思わず買ってしまいましたよ。今はまだざっと読んだ程度なので、詳しいことはこれからなんですが、どうやら譜面への書き込みというのも重要な部分のようですね。「書く」という行為は、ただ「見る」という以上に能動的なので、記憶にはっきり刻み込まれるものなんだそうです。考えてみれば、楽譜に書き込みってほとんどしたことがない私。バッハに関しては、子供の時に習っていた先生にテーマが出てくるところに印をつけなさいと言われていたんですが、それ以外は全然。だからどの楽譜も先生の書き込みばっかり。私の場合は、もうちょっと能動的に勉強する姿勢になるというのが先決かもしれないな。



2010年04月12日

続々・ツェルニーは何のため?

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ツェルニーシリーズというわけではないんですが… 多分これで最後です。今回読んだのは、岡田暁生さんの「ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史」。最近ツェルニーについて色々と考えてきたんですが、これを読むともう全然レベルが違う! なんだー、ツェルニーなんて可愛らしいものじゃないの!というのが第一印象。(笑)

ピアノの演奏において「指がよく回る」とか「間違えない」とかそういう価値基準は、19世紀になってから出てきたもの。18世紀に大切にされていたのは技術ではなくて、まず音楽そのもの。「音楽を正しく読む」ことが肝心だという考え方です。弾こうとする曲の性格やそこに含まれている感情を的確に読みとり、明快に演奏すること。
でもそんな18世紀的な考え方は、19世紀になると物量作戦に取って代わられてしまうことになるんですね。良家の子女のたしなみであった音楽が一般大衆にまで広がり、聴衆は玉石混交に。演奏家はそんな聴衆に手っ取り早くアピールするような「ブリリアントな演奏」をするようになります。演奏の技術的な面、特に指の訓練が重要視されるようになったのもこの頃から。「これさえやればあなたもピアノがラクラク弾ける!」とピアノ教育がマニュアル化され始め、練習曲ではまだまだ甘いとハノンのような指ドリルが登場。様々な指の強化器具が売り出され(これがまたものすごく沢山あって、イラストを見てるだけでも可笑しい)、ようやくピアノの専門科ができ始めていた音楽学校では血と汗と涙の軍隊式特訓が…!

18世紀的に「音楽を正しく読む」ための方法のところでは、ツェルニーの練習曲が引き合いに出されてました。なんとツェルニーは表現についての練習曲まで作っていたのですねーーー。演奏上での正しい抑揚の付け方やリタルダンドをかけるべき箇所、少しテンポを上げるべき箇所、絶対にテンポを揺らしてはいけない箇所、エトセトラ。私も楽譜を正しく読めるようになりたいんですがー。その教本、売ってませんかね? でもWikipediaのツェルニーのページにも、その「演奏について」という本については何も書かれていないので、日本では出版されてなさそう。うーん、これはやっぱりきちんと楽典を勉強をすべきってことなんでしょうね。何かいい本ないか、今度物色してみます…。
それにしても「これさえやればあなたもピアノがラクラク弾ける!」みたいな売り文句は、今でも十分有効ですよね。私だって踊らされそうになるもの。そんな風に19世紀の人々が踊らされていたとは面白いなあ。いや、でもそこに悲劇もいっぱいあったんだよね、きっと。
それと、ここ何回かツェルニーがどうのこうの言ってましたけど、結局のところはバランス感覚が一番大切なのかも、という結論に達しました。色々やってみて、自分に合うパターンを見つければいいんだよね。ということにしておこう。

そんなこんなを思いながら、読みかけだったシューマンの「音楽と音楽家」の残り少しを読み始めると! 「音楽の座右銘」なんていう章があって、色々書かれているではありませんか。例えばこんな感じ。

・一番大切なことは、耳(聴音)をつくること。小さいときから、調性や音がわかるよう努力すること。鐘、窓ガラス、郭公、--何でもよい、どんな音符に当たる音をだしているか、しらべてみること。
・いわゆる「無言鍵盤」というものができた。ちょっと試してみるといい。何にもならぬことが、よくわかる。唖からは話は習えない。
・音階やその他の運指法は、もちろん熱心に練習しなければならない。しかし、世の中にはそれで万事が解決すると思って、大きくなるまで、毎日何時間も、機械的な練習をしている人が多い。けれども、それはちょうどABCをできるだけ早くいえるようになろうと思って、毎日苦労しているようなものだ。時間をもっと有効に使わなければならない。
・やさしい曲を上手にきれいに、ひくよう努力すること。その方が、むずかしいものを平凡にひくよりましだ。
・ひく時には、誰がきいていようと気にしないこと。
・一日の音楽の勉強を終えてつかれを感じたら、もうそれ以上、無理にひかないように。悦びもいきいきした気持ちもなしにひくくらいなら、むしろ休んでる方がいい。
・ビスケットやお菓子のような甘いものでは、子供を健全な大人に育てられない。精神の糧も肉体の糧と同じく、素朴で力強くなければならない。大家といわれるような人は、このことに充分気を配っていた。こうした栄養をとること。
・いわゆる華麗なひき方が、達者にこなせるようになろうと心がけないように。ある曲をひく時には、作曲家の考えていた印象をよび起こすよう努めなければならない。それ以上をねらってはいけない。作家の意図を超えたものは、漫画と同じだ。
・いわゆる大演奏家はよくやんやと喝采されるが、あれをみて、思いちがいをしないように。みんなが、大衆の喝采より、芸術家の喝采を重んじるようだといいと思う。
・人の集ったところで、何度もひくことは、益よりも害が多い。人にみられるのはかまわないが、自分の内心に省みて、はずかしいような曲は、決してひかぬように。
・しかし、他のひととあわせて二重奏や三重奏等をする機会があったら、決してのがさないように。人とあわせると、演奏が流暢に、達者になる。歌を歌う人の伴奏も、いつもするように。
・よい大家、ことにヨハン・ゼバスチャン・バッハのフーガを熱心にひくように。《平均律クラヴィーア曲集》を毎日のパンとするように。そうすれば、今にきっとりっぱな音楽家になる。
・音楽の勉強につかれたら、せっせと詩人の本をよんで休むように。野外へも、たびたび行くこと!
・教会の側を通りすぎるとき、なかでオルゲル(オルガン?)が鳴っていたらはいってきくように。もし幸にもオルゲルの椅子に坐れたら、小さな指でひいてごらん。そうして、この音楽の万能に感心するといいと思う。
・オルゲルをひく機会があったら逃さないように。タッチと演奏法に、粗雑な曖昧な点があると、覿面に報いが現れる。この点で、オルゲルほど良い楽器はない。
・よい歌劇をきく機会をのがさないように。
・小さいときから、指揮法を知っておくように。上手な指揮も、何度も見ること。一人でそっと指揮の真似をしてみたってかまわない。そうすると頭がはっきりする。
・ほかの芸術や科学をみると共に、自分のまわりの生活をしっかり観察せよ。
・勤勉と根気があれば、きっと上達する。
・芸術では熱中というものがなかったら、何一ついいものが生まれたためしがない。

10ページほどに渡るので、これはほんの抜粋ですが、元々はシューマン作曲の「ユーゲントアルバム(子供のための小曲集)」のために書かれたもののようです。岡田暁生さんの本と色々重なるところがあって面白かったー。というか、そちらを読んでいたからこそ理解できる部分もありました。「無言鍵盤」も岡田暁生さんの本に出てきたし! これだけ読んでいても「なるほどね」と思ったと思うんですが、19世紀の音楽事情を知ってみると、シューマンが非常に良心的(そして当たり前)なことを言っているのが分かります。音楽だけを特別扱いして、音楽にだけ没頭するののではなく、他の様々なことにも興味を向けるように言ってるのがまたいい感じ。シューマンの人となりが分かるなあ。
あ、この本のメインはシューマンによる音楽評論で、そちらも面白かったです。ベートーヴェン、ショパン、ベルリオーズ、シューベルト、ブラームスなどについて論じています。小難しそうなイメージを持ってたんですけど、これが全然。とっても分かりやすくて。ショパンについての「諸君、帽子をとりたまえ、天才だ」という言葉もこの本の冒頭にあります。

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2010年04月10日

続・ツェルニーは何のため?

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前記事に引き続きのツェルニーです。
前回読んだ「チェルニーってつまらないの?」は、音楽的につまらないと言われているツェルニー30番の魅力を紹介する本でしたが、今回読んだ「21世紀のチェルニー」は、もっとツェルニーの存在意義に迫る本。ピアノの上達のためにツェルニーは本当に必要なのか、必要だとすればどんな使い方をすればいいのか、全曲通して練習する必要があるのか、ツェルニーではない他のエチュードを使うという選択肢はどうなのか、といったことを国内外のピアニストやピアノ教師へのインタビューをもとに探っていきます。

日本でピアノを習えば避けて通ることのできないツェルニー。日本では「ツェルニー○○番程度」と言えばその人のレベルが分かるほど浸透してるし、現役のピアニストたちも、その多くがツェルニー経験者。名前が知られているような人たちは、進み具合も並じゃないんですね! 青柳いづみこさんは小学校4年生頃までに30番と40番を終わらせて、5年生からはクラーマー=ビューローへ。それを終了した後は、クレメンティ、ケスラー、モシュコフスキから抜粋して練習し、ショパンのエチュードへというコース。小山実稚恵さんは小学校3年生で30番、4年生で40番、5年生で50番を終了。50番の頃にクラマー=ビューロー、モシェレス、モシュコフスキも使い始め、小学校を卒業するころにショパンのエチュードへ。そして横山幸雄さんに至っては、全て初見でクリア!
でもアメリカでは、ジュリアード音楽院のピアノ専攻の生徒でもツェルニーもハノンもほとんど使ってないんだとか。バイエルやメトードローズに至っては名前すら知られていないようです。ヨーロッパでは、そこまで知名度が低いということはないようですが。ツェルニーも比較的使われています。でも全曲ではなく、ほとんどの場合が抜粋程度。
とはいえ、日本でも1990年頃からツェルニー離れが広がっているとのこと。教える側はほぼ100%がツェルニーを通過してきているにも関わらず、自分が習ってきたのと同じように生徒にもさせている教師はごく一部。エチュードの必要性は感じていても、習う側の現状に合わせて使ったり使わなかったり。今どきの子は何かと忙しくて練習時間もあまり取れないし、無理にやらせてピアノ嫌いになられても困るし、無茶な反復練習で手を故障されても、といったところですね。コンクールに出るような生徒はさすがにツェルニーを練習するようですが、それでも全曲を練習するというのは少なくなってきているようです。

テクニックの修得に関しては、日々の曲の中で必要なテクニックを練習するという考え方も優勢。でも国内のピアニストの中では、ツェルニーはやっぱり大事という意見も強いようですね。趣味の範囲のピアノだったとしても、上級の曲を弾けるようになりたければやっぱりある程度のエチュードは必要だし、コンクールの予選などで多くの人間が同じピアノを次々と弾くと、きちんとエチュードで訓練をしてきてるかどうかが一目瞭然なんだそう。
ツェルニーの大きなメリットは、譜読みが簡単で、偏りのないテクニックを身につけられること。1曲ごとにテクニックのある1面を強調して、その動きを反復練習、そして曲集全体で基本的なテクニックを網羅するシステム。ショパンにはショパンのテクニック、ベートーヴェンにはベートーヴェンのテクニックと、作曲家によって必要とされるテクニックが違うこともままあるけれど、ツェルニーにはそういう偏りがなく、あらゆるパターンのアプローチがあるので、練習しておくと後々楽になるとのこと。
でも、もちろんデメリットもあります。ツェルニーの練習曲は、あくまでのツェルニーの時代に弾かれていた曲のためのもの。バッハのような多声音楽、そしてロマン派から近現代の作曲家まではカバーしきれていません。左手の練習が少ない、黒鍵の多い調の練習が少ない、和音やオクターブの練習が少ない… 手の小さな日本人にとってオクターブや和音は負担の大きなテクニック。手を痛める原因の7割を占めているのだそうです。その原因となる曲は、ショパンのバラードやスケルツォ、リストの超絶技巧練習曲、グリーグのピアノ協奏曲、スクリャービンのソナタなどロマン派以降の作品。予防のためには、リストやショパンを弾きはじめる何年も前から和音やオクターブの練習を始めておきたいところですが、それにはツェルニーだけでは不足というわけです。

そういったことを理解した上でのツェルニーの上手な活用法についても書かれていました。まず1曲に時間をかけすぎないこと。これに関しては、ツェルニー自身もあまり長過ぎない方がいいと考えていたようですね。そして表示テンポも意識すること、不得意なテクニックや必要なテクニックを補うように使うこと、そして自分の耳できちんと聴いて音楽的に弾くようにすること。今何の練習をしているのか自覚することによって、上達にも大きな差が出るそうです。さらにツェルニー以外のエチュードの紹介と考察。各国の練習事情。

結局のところ、エチュードは必要だけどツェルニーに拘る必要はないし、ツェルニーをやるにしても完璧に仕上げる必要はないという考え方が優勢といったところでしょうか。
でも何らかのエチュードが必要なのであれば、私もツェルニー30番をしばらく頑張ってみようと思います。(本は持ってるんだし) 目標はインテンポ・ノーミスで弾けること! 本に表示テンポで弾くとリストに通じる華麗さが味わえて楽しいというのも書かれてましたが、確かにエッシェンバッハの弾く30番と40番のCDを試聴してみると、なかなか綺麗な曲集になっていてちょっとびっくりします。ある程度の速さで弾くとまた違う表情が見えてくるのはショパンのエチュードの10-4で経験済みですが、ツェルニーもそうだったのかー。今のところの目標としては、30番と40番をやってクラマー=ビューローかモシュコフスキへ! 頑張るぞー。おー。(さて、いつまで続くのでしょうか)
でもね、ツェルニーを練習をするとどんないいことがあるのか、子供の頃に教えてもらいたかったです。それか、その時に弾いてた曲に合わせた練習曲を抜粋してもらうか。それならもっと頑張れてたと思う! なあんて、何も考えてなかったのは自分だというのをすっかり棚に上げた発言ですが~。

とても面白くて勉強になる本でした。特に面白かったのは、かつて日本人をこれほどまでにツェルニーに駆り立てることになった要因の1つに、日本の伝統芸能によくある「型」を叩きこむ感覚と似たものがあったのではないかという話。ああ、なるほど。そういうのもあったかもしれないですねー。

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